文字は丁寧に
2019年06月08日
日頃書いている文字が読みづらく、注意する場合もある。 癖になっているから、どうしても何回も注意することになってしまう。学校のテストなんかでは、読みづらくてもオマケで〇になってる場合も多いから、「どうにかなるだろう」と本人も思ってるのであろう。
それが、学校外の模試になると、一変する。判別できない文字は×である。
「これは、0かな6かな、どっちかな? 正解は0だから、0のつもりかな? よし、〇にしておこう。」
なんてことはないのである。採点者がそのように判断することは、公平性からしてアウト。判別できない文字は×である。
高校生の模試にしてもそう。最近は、名前をマークシート式で記入するものも多く、マークミスで別人になってしまう。
例えば、「サイトウ」とマークしたつもりが、「サイテウ」になってたりする。一文字ずれると、別人になってしまうから、過去の成績データとの連動性もなくなって、成績の推移も出なくなる。 記入方法の例は書いてあるし、それでも分からなければ、聞けばいいのであるが、ミスしたら自己責任である。模試だからまだ救われるものの、本番の入試でやってしまうと、救われない。
現行のセンター試験も、新しい「大学入学共通テスト」も、自己採点をして、その点数を基にして2次試験に出願しないといけないので、マークミスは致命傷になる。(自分の本当の点数が分かるのは、4月以降)。
配点2倍ではなく・・・
2019年06月07日
今日昼過ぎに、2020年度から始まる「大学入学共通テスト」の英語の配点が決まった、と報道がありました。
これまでも、方針としては、リーディングとリスニングは1:1というのは公表されていました。今回は、配点が、
「リーディング100点、リスニング100点」 と決まったわけですが、従来の、 「筆記200点、リスニング50点」 と比較して、「リスニング」の配点が2倍 になったと考えるだけでは、ちょっと甘いと思います。
合計点に占めるリスニングの比重を考えるべきです。従来は、計250点中の50点、 新制度では、計200点中の100点です。 リスニングの比重は、20%⇒50% になるのです。
リスニングの出来が、英語の得点を大きく左右することになります。
途中式がいい加減
2019年06月06日
言っておきますが、「いい加減」とは、「良い加減」の意味ではないです。
毎年そうであるが、中1、中2生の数学の計算の途中式は結構いい加減であることが多い。累乗の正負も間違ってるし、連立方程式ならば、加減法で解いた後の符号も逆になってる。だけど、そのミスが複数あると、なぜか正しい答になってしまって、答合わせで、最終の答だけを見れば、○になってしまうのである。
最終結果だけを見ていれば、○がついて、理解できているように思うけど、実際には間違ってるので、理解はできていない。累乗や符号が間違ってるのだから。
最近も、答あわせした後のテキストやノートを見てるけど、生徒の目の前で間違いを指摘することも、まあまあある。そうした指摘をされたなら、本当は理解できていないのであるから、もっと途中式は丁寧に書くべきである。
「いや本当は分かってますから、テストの時は大丈夫です」
と、自信ありげに言って、本番で大丈夫だった、という例はない。
こんな例も
2019年05月29日
数学で、「三角形の面積を二等分する直線の式を求めなさい」という関数の問題は頻出です。求めるのは、三角形の1つの頂点を通る直線です。
これを初めて見たときに、だいたいの中学生は手が止まります。
「習ってない」 と。
まあ、教科書見てもこのような問題を解説してる例題はないでしょうね。(すべての教科書を調べてませんが)
自分で考えなければなりません。ですけど、初見の場合、解法を教えないと解けない中学生が多いです。
でも、ですね、これって、日常生活の中で普通にやってると思うんですね。例えば、兄弟2人で、ケーキとかフルーツを切って分ける場合。
ケーキで考えてみます。ホールケーキが4分の1あるとします(円を4つに均等に分けた状態)。これを、仲良く2人で同じ分量ずつ分けるとき、どこを切りますか? 多分、「真ん中」ですね。周の真ん中を通るように、切ると思うんです。そうじゃなく、どっちかに寄ってしまえば、兄弟喧嘩になりますよね(笑)。
先ほどの数学の問題もそう。数学の三角形だからできないんですね。あれが、ケーキとかフルーツと思えば、どこを通るように分ければいいか分かるはずです。
具体的に教えてもらっていないことでも、日常生活からヒントを得られることは意外に多いのです。
周りに影響される
2019年05月28日
昨日書いたことにも関係しますが、周りにも影響されることも多いのです。
例えば、保護者の方がスポーツが好きで、実際にスポーツをしたり、観戦したり、そのスポーツの話を日々されていると、子供たちもそれに興味関心を持つこともあります。また、読書をすることが日常の一部となっている家庭の場合には、子供たちも文字に対する抵抗もなくなりやすいです。
時事問題に大変詳しい子もいます。聞いてみると、お父さんと時事的な話をよくするとのこと。日本地理に詳しい子に聞いてみると、何箇所かお城を見に行って好きになり、それからはネットでお城を調べてるうちに、何県に何城があって、どうやって行けばいいのか調べるようになったとのこと。
興味関心なんて、勝手にわいて出てくるものではないですから、何かのきっかけはあるはずなんです。それが、家族の影響ということも、まあまああると思います。
家族でなくても、周りの大人、そして友人など、いろんな人に接することで、いい意味で影響されることも大事であると思います。
一般教養というか、常識は必要
2019年05月27日
受験も含めて、学習を進めていく上で、教科書で学んだ内容だけでは、実は問題は解けません。
一般教養というか、常識というか、そういうものは必要です。大学で学ぶような一般教養という意味ではありません。表現が難しいですが、社会生活上、知っておいたほうがいい、と思われるような知識です。
例を挙げれば、「地球温暖化が進んでいる」、「日本では、少子高齢化が進んでいる」、「香川県の人口は100万人より少なくなった」、「昼の長さが一番長いのは6月22日頃の夏至の日である」、「日本海側は冬に雪が多く降る」・・・などです。国語や英語の長文の題材として出てくることもありますし、国語の作文、英語の英作文の題材にもなりえます。また、大学入試の小論文、面接の題材にもなりうるのです。
上記の内容は、もちろん教科書にも載っています。小学校の教科書にも載っています。時事的な話題は、新聞やニュースでしょうか? 単に、テストの為だけに覚えるのではなく、日常生活の中で幅広く知識を吸収しようとする姿勢は大事だと思うんですね。 それが、音楽や美術、芸術、スポーツであったとしても。
こうした知識の吸収の為に、お金をかける必要はありません。これまで通りの日々の生活の中で、接する機会を意識して増やしていけばいいだけです。
見かけた自動車のナンバーが「三河」だったら、それってどこ? って考えて調べるだけでもいいわけです。
大学入試の小論文や面接があるからといって、その対策に直前になって、新聞を読み始めても、誰でもが知っている、その時の断片的な知識しか入ってきません。日頃から、そうした知識を吸収しようとして意識している方が、より多くの知識も身についているし、それについて考えることもできるのです。
点数に即つながる訳ではありませんが、実はそうした知識こそ、問題を考え、解く上では、大きなはたらきをしていると思います。
場合分け
2019年05月26日
高校1年生の数学で、文字係数による「場合分け」の問題に入ってきた。
高校の数学では、この「場合分け」ができるかどうかで、点数も大きく変わってくる。
不定不等式や不定方程式の問題であるが、「なぜ場合分けが必要であるのか?」という点を理解しておかないといけない。ただ単に、類題を真似てるようでは、理解しているとは言い難い。
こうした「場合分け」の問題を解くことによって、過程を記すことの重要さに気づくはずだし、高校数学が中学校数学とは別物だということが分かるはずだ。 どの教科にも言えることだが、中学校時代の勉強のやり方は、高校の勉強には通用しない。
よくこの日誌にも書く表現だが、「高校受験のときの勉強は、勉強じゃない。単なる暗記。」である。これは、一生懸命に勉強している高校生なら皆感じることである。(実際に塾生に尋ねてみると、賛同してくれる)
感覚的には、「高校の勉強は、中学校のときにした勉強の10倍くらいやらないといけない。」はずである。
途中式を書く(見直せるように)
2019年05月25日
「どこで間違ってるのか分かりません・・・」
と言って、数学の質問に持ってくる。
そういう場合のほとんどは、途中式がいい加減なのである。どこからどこへつながってるのか判別できない。当の本人に聞いてみても、本人も分からないときもある。
途中式はあとから見直せるようにきちんと書くべきである。自分でも分からないような式を書いたら、見直しなんてできない。テストや入試では、自分で間違いを見つけなければならないのに、それができないような途中式では困る。
だいたいは、早くやろうとして一部暗算でやってしまい、ミスをすることがほとんど。しかもそのミスを自分自身で探すことができない。早いのはいいけど、正確さがやはり要求される。
そうしたミスが多い場合には、答え合わせもいい加減なことが多いし、テストでは、答え方の間違いや、解答欄の間違いをすることが多い。1つ1つ指差し確認するくらいでないと、この癖はなかなか直らない。
国語力で他教科の出来が決まる
2019年05月23日
とんでもない事実に直面することがあります。
「○○って何ですか?」
○○に該当するのはいろいろありますが、問題を解くのに重要な言葉だったりします。その言葉を知らないと解けないですね。
例えば、「抽象的な表現を選びなさい」という設問が仮にあったとします。しかし、「抽象的」という言葉の意味を知らなければ、答えようがありません。「抽象的」の意味を推測しながら、答えることはできたとしても。
日々指導にあたっていると、こういうのが結構あります。しかも、成績上位でも見られます。
これは、「国語力」というよりも、「語彙力」ですが、近年ますます弱くなってると感じます。正直言って、解法を教える前の段階で、基礎力が不足しているんです。
社会や理科でも、問題文を正しく読みこなせないから、正しい答が答えられないという事例もあるはずです。また、数学でも、大学入試の新テストでは、記述式が一部導入され、問題文を読む量が増えています。問題文を読んで理解するのにかなり時間がかかるような問題です。数学なのですけど、「語彙力」「国語力」勝負になるのではないかと思っています。
勉強しても成績が伸びない、という場合には、実は「国語力」が原因であるかもしれません。
昨日の内容にもつながりますが・・・
2019年05月22日
「丸暗記してテストで100点」 と、 「内容を理解して原理原則の説明もでき、勉強の正しいやり方もできて、テストで80点」 では、私は後者の方が、長い目で見ると、伸びるのではないかと思っています。
もちろん、100点の方が評価が高いのは確かです。ですけど、それは、中学校まで。高校の内容は、丸暗記で片付けられるようなものでなく、思考力が必要です。
中学校のときにトップレベルの成績をとっていても、高校に入ると急降下する人がいるのは、「暗記」でどうにか高校入試をクリアしてきたからです。
そうなってしまっては困るので、小・中学生を指導するときには、過程を重要視し、ノートチェックも頻繁に行っていますし、証明問題等の書き方にもすべて目を通しています。
ですので、塾生への指摘がかなり細かいのですが、まあそれは後々のことを考えてのことです。目先の点数アップよりも、長期的な学力向上の方を重視しています。
定期テストの過去問をやらせることは、開塾以来25年間一切しておりませんので、そういう指導をご希望される方は、他塾をお薦めします。