なぜ?
2012年05月24日
同じ時間勉強していても、結果として出てくる成績は個々に違います。
その違いの出るのは、「なぜ?」 の差です。
成績の良い場合には、「なぜそうなるのか?」というところまで学習を進めています。質問も「なぜこうなるんですか?」
「ここまでは分かりますが、ここから先が分かりません。」という質問です。 一方、そうでないほうの質問は、単に「分かり
ません。」というだけです。
この違いお分かりでしょうか?
単に「分かりません。」という質問の仕方は、「すべてを教えてもらおう」という気持ちがあると私は判断します。その方が
「楽」だからでしょう。一方、「なぜこうなるんですか?」「ここまでは分かりますが、ここから先が分かりません。」という質
問のほうは、その質問が出てくるまでの労力が想像できます。そこまでは考えてきて、そこから先は前に進めなかったの
です。それで、そこを突破するための質問ですね。これは評価できますし、力にもなります。
「教えてもらったほうが楽」かもしれませんが、そういうのは力にならないことが多いですね。苦労して理解したほうが身
につくように私は思います。
話はずれますが、私は数十年前のある一日をはっきりと覚えています。それは、私が幼稚園児のときでした。私は、幼
稚園は、本園と分園のある幼稚園に通っていました。通常は、分園に通い、どのくらいの頻度だったかは覚えていません
がたまに本園に通うときがありました。日々、分園には歩いて通っていました。30分以上かかっていたと思います。道草
だらけでしたので。たまに行く本園は、親が送っていくか、分園に通常通り通園後、みんな揃って路線バスで向かってい
ました。 そんなある日のこと、いつもどおり、歩いて分園に行ったのですが、幼稚園が開いていません。先生も来ませ
ん。私と同じような園児が数名いました。 田舎の幼稚園ですので、周りに家はあっても大人は見る限り外にはいないの
です。その数名がとった行動は、何でしょう?
「歩いて本園まで行く」
ことでした。2kmくらいはあったと思います。しかも、5歳とか6歳です。普段は歩いて本園まで通ったことがありません。
でも、ある一人が言いました。
「オレ、道知っとる。」
その彼の後を、数名は歩いてついていきました。今から考えれば、一本道で曲がるところもないのですが、そのときは歩
いていきながら、いろいろ考えていたのを未だに覚えています。 普段であれば、通るはずのない園児が、幼稚園が始
まっている時間帯に数名で歩いているのはおかしいのですが、なぜかそのときは大人に話しかけられることもありません
でした。
こうした苦労してたどりついた(多分1時間はかかったと思います)のは、はっきりと覚えているのですが、親に送ってもら
って本園に行ったときの記憶は全くありません。
(ちなみに、その日は、本園に通園する日で、親が送っていかなければならない日でしたが、連絡が徹底してなかったようでした)
これとは全く同じとはいえないと思いますが、苦労したことは記憶に残っていることが多いです。
「なぜ?」を大切にしてください。